東京農業大学エベレスト・ローツェ環境登山隊2003  
静から動−エベレストまでの道

              大平 展義
 
 
 2011年1月に東京農業大学農友会山岳部報告第4号が刊行された。1977〜2008年の同大山岳部の足跡をまとめたB5版557Pの大作で、歴史と伝統ある東京農業大学山岳部の豊富な活動実績が窺われるもの。本誌に投稿された大平会員に関わる部分を、本人の許可を得てというか本人の希望もあって2011年5月3日〜16日まで4回にわたり連載しました。
 また、その後掲示板に書き込まれた感想・反響も可能な限り実名にて掲載しました。(2011.6.8,編集部) 
                   
静から動−エベレストまでの道(最終回)」(2011.5.16)
◆「静から動−エベレストまでの道(3)」(2011.5.12)。
◆「静から動−エベレストまでの道(2)」(2011.5.7)。
◆「静から動−エベレストまでの道(1)」(2011.5.3)


掲示板や編集部に寄せられた感想

「エベレストまでの道」に遭遇して

 投稿者:青春の思い出  投稿日:2011年 6月 2日(木)15時03分40秒
   偶然「エベレストまでの道」に遭遇し大平さんが世界最高峰に挑む登山家だと知りました。
植村直己さんみたいですね。
奥様とのほほえましい遣り取り。大きなロマンを許した奥様は寛大な心を持った素敵な女性ですね。
大平さんが誰にも真似出来ない素晴らしい人生を歩けるのも彼女のお蔭だと私は思います。

 貴重な山岳随想を読ませていただいて有り難うございました。文章が上手ですね。
何度も読み返しました。感動して胸が熱くなりました。変わらぬ大平さんの笑顔。
ふと昔のことを思い出し感傷的になりました。

 お酒の量は減りましたか?
健康第一です。病気をしないように健康管理をして、これからも奥様の許す範囲内で
冒険に挑戦してください
 

再び大平さん「エベレスト」関連

 投稿者:気まぐれ編集長(狭間渉)  投稿日:2011年 6月 1日(水)09時54分48秒
   先の書き込みで大平さんの「エベレストまでの道」が掲載された東京農業大学農友会山岳部報告第4号の中で、「昭和5年以降の亡くなられた先人達」に松濤明※の名前が見当たらないことに触れ、東京農大山岳部に所属していなかったからなのだろうと勝手に思い込んでコメントしました。

後日気になって「風雪のビバーク」の関連部分を読み返してみました。

冒頭‘登歩渓流会と松濤明君について’で、登歩渓流会の先輩・杉本光作により極めて的確な松濤明像が語られており、それによると、登歩渓流‘会の中堅となっていた’彼が昭和16年に東京農業大学に入学し、入学と同時に同大学山岳部にも所属したこと、‘登山人として立派に成長したので、もはや松高山岳部(※※)を必要としなくなったから’などとも紹介されている。また、一方で杉本は、すでにベテランであるにもかかわらず山岳部では一介の新入部員でしかない松濤明が‘学校山岳部のあり方についても多くの疑問をもったようである’とも記している。

そして同書「捜索から遺骸収容までの概要」での、遭難確実から捜索隊派遣について登歩渓流会と農大山岳部が緊密に連絡をとりあったこと、登歩渓流会と農大山岳部の合同あるいは農大山岳部単独など8月まで数次にわたり精力的な捜索活動を展開した事実・経緯からみて、登歩渓流会のみならず農大山岳部においても、彼の存在の重さ、いや彼の捜索にかける農大山岳部の意気込みを推し量ることができる。

現役山岳部員でありながら、社会人山岳会での活動に重きを置き岳界で注目される存在になっていた松濤明は、農大山岳部においてはどのような存在であったのだろうか・・・。

遭難時における世間的注目度もあり農大山岳部は、捜索に精力的に加担せざるを得なかったのだろうか・・・、否、北鎌尾根におけるパートナー有元克己という同大山岳部OB(昭和21年卒業)のこともある。

いずれにしても当時の農大山岳部の社会的責任感の強さはなまなかなものではないと感じるのである。

であるならなおのこそ、同大山岳部報告第4号中の「昭和5年以降の亡くなられた先人達」に有元克己の名前があるのに、松濤明(遭難時の身分は学生)の名前がどうして無いのか、そのことが気になる。・・・もしかしたら単に同大山岳部OBに限定しただけの単純なことかもしれないが。

大平さん、ごめんなさい。エベレストの本題からそれてしまってます。お許しあれ。
いずれにしても酒の肴にして(失礼)、諸先輩方から語り継がれたであろう歴史の真相など、大平さんのコメントも聴きたいものですね。

(※)写真参照
(※※)松濤明は松本高校の入試に失敗したあとで東京農大に入り、18年2月から兵役について21年に復員したのち、再び学生に戻っている。
 

「エベレストまでの道」を読んで

 投稿者:SPIRAL常連  投稿日:2011年 5月24日(火)22時55分23秒
  8600m、山頂まで残り標高差にして僅か248m。
あれだけ犠牲を払い、過酷なトレーニングを重ねたのだから何とかして山頂まで行ってほしかったと思ったりもしましたが、しかしそこは私の想像を遥かに超えた世界。
実際に体験した人しか分からない超過酷な世界だったのに違いない。
いつかそんな所へ登ってみたい。
読みながらそう思いました。
貴重な文を掲載していただきありがとうございました。
 

(無題)

 投稿者:気まぐれ編集長(狭間渉)  投稿日:2011年 5月22日(日)16時05分12秒
  湯っ栗さんの文章が、大平さんの「エベレストまでの道」の読後感想のすべてを集約してますね。これほどの名文を書かれると、後に続きづらいものがあります。

だけれども、ここは敢えてせっかくの大平さんの大作に敬意を表さなくてはとの思いで以下に若干の毀誉褒貶を忌憚なく披歴します。

「エベレストまでの道」は東京農業大学農友会山岳部報告第4号(平成23年1月20日発行,B5版500P,写真)に掲載されたものです。過去30年間に渡る現役・OBの登山活動の集大成です。このような立派な会報が出せることに、組織力と伝統の重み、それに愛校心を感じました。OB組織がしっかりしていて、大学内にも現役とOBを繋ぐパイプ役が教官としており、現役学生・大学院生などの思想教育も含め、とぎれないように伝統が守られている、といった印象です。そういったバックグラウンドがあっての大平さんの崑崙、ナンガ、それに続く今回連載のエベレストだと思います。

もちろん、そこに大平さんの飽くなき不撓の精神があるからでしょうが、その山への想い、エベレストへの想いのエネルギーの根底には農大山岳部をいつも自覚して意識しているということがあると思います。まさに農大あっての大平さんであり、今エベレスト行なのだと思います。

さみしいかな、気まぐれ編集長を含む‘おゆぴにすと’の何人かには、そのようなバックグラウンドがありません。おゆぴにすとは云わば同人組織のようなものですから。

ところで、農大の報告書を通覧しながら、昭和5年以降の「亡くなられた先人達」に松濤明の名前の無いことに気が付きました。そうか…、考えてみるまでもなく彼は東京農大出身者だけれども山岳部員ではなく登歩渓流会に属し、まったく独自路線を歩んだ人なのだ。ひょっとしたら大学山岳部とに一線を画した人かもしれない。山岳部とは何の関係もないのだから名簿に名を連ねる理由もない。大平さんの登山のバックグラウンドの話を先にしましたが、ある意味対極にあるような気もします。一度機会があれば、大平さんに松濤明観などうかがってみたいものですね。

話が横道にそれてきたついでながら、世間に対して斜に構える性癖のある・・・ひねくれた性格というべきか・・・気まぐれ編集長の思考回路では、大学山岳部→伝統→東京六大学→関東大学ラグビー→箱根駅伝・・・というふうに結び付けていき、小島烏水→日本山岳会にも似た、伝統が醸し出す、一種近寄りがたい雰囲気、いや周りが勝手に感じるのではなく、伝統自体が意識的に発している保守的・排他的な雰囲気をいやがうえにも感じてしまいます。

また、‘没個性の山岳部’と‘自己主張の社会人山岳会’・・・大平さんの「エベレストまでの道」は、こういう観点で物事を考えてみるのも面白いのではないかという、その良いきっかけになりそうです。

すみません大平さん、少し理屈っぽく(ひがみっぽくというべきか)なりました。まあ本来、岳人という人種は理屈っぽいものです。自分自身の行動規範にいちいち理論的根拠が要るという種属ですから、その辺のところは寛容の心で受け止めてもらいたいものです。

そういえば、このところのおゆぴにすとの飲み会、所帯じみた話が多くて困ります。かつての青年期のような気持ちで大いに山を岳を、岳の精神を語りたいものです。大平さんの「エベレストまでの道」は、そういう意味でもまさに時宜を得たものと言えます。
 

大平さんの労作を拝見し、ヒマラヤの夢が再燃しました

 投稿者:湯っ栗(栗秋和彦)  投稿日:2011年 5月22日(日)11時04分38秒
  一日に70qも80qキロもトレーニングと称して走ったり、一緒に飲めば酒呑童子の如く、ほがらかに愉しかり振る舞いの大先輩だもの、ノー天気の権化(失礼) だと思っていましたが、なかなかシリアスで臨場感溢れる文章は一気に読み通してしまう迫力に満ちていました。

もちろん彼が還暦近くになってエベレスト遠征に参加した事実は承知していましたが、伝統山岳部の強靭な組織に乗っかり、神輿的立場で参加したものと思っていたので、先入観とは恐いものだと今更ながら思ったところです。

結果、世界の頂点のサミッターには成り得なかったけど、そしていろんな葛藤があったことは想像に難くないけど、まるで悠々たる登頂者と言ってもおかしくない冷静さと奮闘ぶりが行間から伝わってきます。今までの彼の行状からくる偏見?を少し(大きく?) 見直さなければならないぞと。いや後光が差すぐらいです(笑)。

そして何よりこのような夢を現実へ結びつけることが出来た最大の要因は家庭の理解 (或いは諦念とでも言うかしらん) に尽きることが、要諦なんだと改めて感じ入った次第 (逆説的にはカミさんの手のひらで行動することこそ家庭平和の秘訣なんですね)。

しかし人生の転機には、どうしてもそれらを打ち破る情熱が必要なのは言わずもがなか。自分自身、近い将来サミッターは無理にしても、8千b峰を間近に仰ぎ見るトレッキングに是非、行きたいものだと、夢を再燃させるに充分な労作だったと思います。